【体験談】文系大学を卒業した僕が航海士(船乗り)になった時の話
はじめまして!
航海士の見習い(甲板員)をしている飯島(@momo3110k)です!
僕は文系の私立大学を卒業した後に、新卒で船乗りになりました。
海技免状を持っておらず、船のことを全く知らない僕が初めて船に乗った時の2週間の出来事をお話します。
学生時代
3年の就職活動の時、多くの学生が一般的な企業や公務員等になるため、就職活動をしている中、僕は船乗りになることを決意しました。
未経験、海技免状なしでも船に働きながら勉強できる会社があり、就職活動を通して無事にその会社から内定を頂きました。
内定を頂いた後、周りの方の助言から「学生時代にしか出来ないことをしよう」と決意していました。そのため、大学1年の頃から計画していた世界一周の旅に出ました。
この旅は一生の思い出だが、今振り返るとこの時に海技免状の勉強をしておけばよかったと後悔しています。
入社
時が経ち、大学を卒業して入社式を迎えました。
新入社員は僕と同期1人の2人だけでした。同期の子は水産学校の専攻科をでており、既に筆記で海技免状3級を持ってました。3級といえば内航船の船長ができるレベルです。
船の専門的な知識を知らない僕に丁寧に解説してくれたり、船のことを熱く語ったり、優しく船が好きな子でした。同期が水産学校で勉強した分をこれから縮めるのは大変だなと思いながらこれからの船乗り人生のことを考えていました。
入社式を終えた後、配属先の船が決まりました。同期の子とは別々の船に乗ることになり、お互い自分の乗船する船へ向かいました。
右、左もわからずに乗船
港に着き、乗船すると船員さん達が迎えてくれました。乗組員は既に5人乗船しており、僕を含めると6人になります。仕事着はイメージとは違う作業服でした。
仕事を始めた時に、全てが初めてのことばかりで困惑しました。
言葉1つにしても船舶用語が分からずに理解できない。ある時に『ポート、ポート』と言われポートに来るように言われました。
ポートがわからずに質問をしたら、『そんなことも知らないのか?』と怒られました。
船舶用語で、「ポート」とは左舷、左側のことをいう。もちろん右側の意味の「スターボード」もこの時は知りませんでした。
まさに右も左もわからない状態です。
普通は海技免状を持っていなければ船には乗船できない。海技免状がなく船舶の知識がない僕が船に乗ることは本来おかしいことでした。
それなのに船舶の知識がない僕が乗船しているのは他の船員さんにとってとても迷惑だったと思います。
例え会社が『船員不足解消』を掲げ、新人育成のために船に僕のような新人を送っても、船員さんにとっては新人育成という余計な仕事が増えただけなのだから。
この時に自分は本来船に乗ってはいけないレベル(船舶の知識、経験、免状の不足)であることに気づき、海技免状の勉強をしてないことを激しく後悔しました。
怒鳴られる毎日
周りの大卒の友達が新人研修で丁寧に仕事を教えて貰ったり、同期との呑み会を楽しんでいる中、僕はひたすら船の中で怒鳴れる毎日でした。
船員さん達は教えることに慣れてないので、見て覚えなければならない。船員さん達も若い頃そうやって怒られながら仕事を覚えたのだからそれが当然です。
現代では昔ほど厳しくはなく、軽く説明はして貰えるのだが、慣れてない僕にとってはわからないことだらけで軽い説明だけでは足りませんでした。
本当にわからないことだらけでした。
何がわからないのさえわからない状態。
船員さん達はいつも忙しく下手な質問をすると怒鳴れるので、萎縮してなにも聞けませんでした。
1番困ったのはいつ仕事が始まるのか?わからないのが苦痛でした。
陸の仕事と違い、船は何時に出勤というのが決まっていない。乗船している間は常になにかあった時に動かないといけないし、運送している荷物の積み、降ろしは工場に合わせないといけないので夜中でも着桟作業をします。
初めはそのことを知りませんでした。
『明日、何時からS/Bですか?(仕事が始まりますか?)』と聞くと
『ガタガタうるせー。お前が代理店に聞いて調べろや』と大声を出されました。
代理店からの電話を待っていて待機している状態だったということを知ったのはしばらく経った後のからでした。
代理店とかの存在も知らなかった僕はただ黙って謝るしかなかった。
ただでさて仕事ができないのに、みんなが仕事している中、寝ていたらもっと酷い目に合うと感じ、ゆっくり寝ることができませんでした。
少し寝たら、リビングに降りて他の船員さんが働いてないか確認しました。
いつ仕事が始まるんだろうか?と常にそのことばかり考えていました。船は夜荷役というものがあり、真夜中でも働く可能性があったので、気が休まりませんでした。
他にもロープの結び方、ウィンドラスの使い方などの仕事は手間取りました。
ロープの結び方は見てるだけではわからず、外で練習をしました。練習をしようとしてもどうしても正しい結び方が困っていると、優しい船員さんの1人が結び方を教えてくれたのが嬉しかった。その船員さんは他の船員さんからは「アルツハイマー」と呼ばれ馬鹿にされていたが、無知な僕の質問にも答えてくれる優しい方でした。
船員さん達は忙しく、仕事の指示が単語で言われることがあります。経験の浅い僕はなんのことかわからずに聞き返すと怒鳴れました。
1週間も経つと相手にされなくなり、指示がなくなり船員さん自身が行動していました。
船員さんの中には『馬鹿だから企業に就職できずに船に来たんだろ?』と言う人もいました。
皆さん忙しく僕に構っている余裕などありませんでした。
毎日、毎日怒鳴られました。
船の中では逃げ道もなく辛い。
早く仕事を覚えねばと強く感じました。
異文化交流
毎日、怒られてはいたが船員さん達は優しかった。一緒にお酒を呑んだりもしました。
ただ共通の話題が中々見つかりませんでした。船員さん達は『ギャンブル、風俗、タバコ、酒、喧嘩』の話をしていました。
僕は真面目な方ではなくむしろ遊ぶのが大好きなのですが、これらのものはお酒以外経験がありませんでした。
船員さんに大学や趣味のことを聞かれるのが嫌でした。
あくまで予想ですが、
『大学ではゼミでジェンダーの勉強をしていました!趣味は旅で世界一周しました。』
と言えば、スカした気に食わない野郎だと思われるからです。
船員さん達は島出身の方も多く、漁師の息子で小さい頃から船に乗っていたそうです。幼い頃から海と関わりが深く、本当に骨の髄から海の男なんだと感じました。
話をすればするほど、育ちや環境、趣味嗜好がかけ離れていることに驚き、面白いなと感じました。
ふと、初めて留学した時のことを思い出しまひた。今まで触れたことがなかった言語、環境、思想に出会った時のことを。
この「船の世界」はその時と同じと言っていい程、僕が知っている世界と違いました。
3日で辞めた同期
呑み会の席で、とある船員さんが『お前の同期3日で辞めたらしいな』と呟きました。(実際は2週間?で辞めたらしい)他の船員さんが慌てていました。どうやら僕に内緒だったみたいでした。
彼は僕とは違い、練習船などで本当の船の生活を知っています。内航船の船長クラスの知識もあります。そしてなにより船に対する熱意が本物でした。
そんな彼がまさかこんな早く辞めるとは予想外でした。僕なんかと違い、毎日怒鳴られずうまくやっているだろうと思っていました。
あの彼が辞める程、船の世界は厳しいと再認識させられました。
突然のクビ
あの日は船員さん達が騒がしたかった。何かあったんだろうかと感じていましたが、余計なことを聞くとまた怒鳴れるので聞けずにいつも通り生活していました。
ロープの結び方を教えてくれた、優しい船員さんとすれ違った時
『もう知っているかもしれないが、俺は明日でクビや』と言いました。
彼は若い時から、外航船などに乗っているベテランの船員です。ベテランの方が明日、クビになるとは思わなくて、クビになる位大きなミスをしたと思い笑っていました。
しかし、彼は次の日本当に船を降りました。
前日に彼のお別れ会があったのだが、集まったのは3人だけでした。クビになった船員と僕とエンジンの船員で小さいお別れをしました。
彼は『外航船と内航船では船の仕事が違った』と悲しんでいました。
きっと仕事が違い苦労したんだな。周りに『アルツハイマー』と影で呼ばれ苦労した彼に同情しました。
どんなミスをしたのか詳しくは知りませんが、彼は仕事でミスをして会社をクビになりました。
当たり前だけど仕事が出来ない奴はクビになる。
まだ2週間も経ってないのに、同期の仕事辞退、同じ船の乗組員のクビ、日々の怒られる生活から船員の厳しさを実感しました。
船乗りは厳しい世界
今回書いた話は初めて乗った船で2週間程の間に起きた出来事です。
実際に船の生活は厳しいという話をよく聞く。これから船を目指す若者のタメになればと思いこの時のことを書きました。特に僕のように0から船に乗るぞという方の参考になれば幸いです。
この後、僕は違う船に転船とになりまし。次の船では船員さんに恵まれ、ご指導して頂き感謝しています。
僕が今回伝えたかったのは『船の世界』は厳しいよ!陸とは違うんだよ!ということです。
この世界が厳しいのは当然だと思います。なぜなら一歩間違えれば命を落とす危険な仕事だから。現に僕は仕事でミスをして指を怪我してしまいました。
仕事が出来ないことは、命や怪我に関わるんです。
脅すようなことを書いてしまいましたが、その分船乗りは給料もよく、まとまった休みが貰えます。
船乗りの仕事の良い分、悪い分をすべて考慮した上で目指して頂けたら幸いです。