登山家栗城史多が伝えたかったこと
5月21日、登山家である栗城史多さんがお亡くなりになった。
なにかと話題に事欠かせない方だったため、私の気になる方の1人でもあった。
彼の死の報道に胸が空く思いと同時に
命がけの挑戦をしてまで彼が伝えたかったことはなにか?
と気になった。
そこで彼が生前語っていた事や、関係者の言葉をまとめながら彼の思いを書き記したい。
栗城史多さんとはどのような方か?
まず栗城史多さんとはどのような人だったのか迫っていきたい。
彼の評価についてだが、賛否両論がある。
そのことについてはこちらのurlを参照して頂きたい。
こちらを読むと、彼の評価は支持と批判の真っ二つの分かれていたことが分かる。
一般層には支持され、登山関係者には否定的にみられることが多かったようだ。
なぜ登山関係者から好意的ではないと評価されたかというと彼の実力とやっていることの乖離が生じたからである。
登山のような冒険活動が危険なのは周知の事実だが、彼のやろうとしていることは度を越していて無謀と判断されたために批難されているようである。
私のような登山関係者でないものに彼のやったことが無謀だったかの是非はわからないが、なぜ周りから危険と言われるような挑戦を行ったのか、何を伝えたかったまとめてみる。
栗城史多が伝えたかったこと
『僕の本当の夢はただエベレストを登ることじゃない。否定という壁を少しでも失くすことでこの山登りを通して役立つことが出来たら…』
今の日本ではこの「否定の壁」というのがたくさん存在する。
とある講演会で彼は子供たちに夢を尋ねた。夢を語る子供に対してその場に居合わせた大人がお前の成績では無理だと否定してしまった。
このような場面は決して珍しいことではない。
誰しも社会に出て現実に直面する。夢を叶えることの難しさを身体で知っている。
現実を知っているがために自分や他人の夢を「否定」してしまう。
この「否定の壁」を壊すために彼はエベレスト挑戦という冒険を共有したのだ。
彼の冒険の共有とは失敗と挫折の共有である。
実際にエベレスト挑戦も今回で8度目であり何度も挫折している。
彼の挑戦は無謀かどうかは置いといて、目標に向かって諦めず挑戦は私達に「否定の壁」を壊す勇気を与えてくれのは確かである。
否定の壁を壊すため彼は挑戦することの大切さを身を呈して教えてくれたのだ。
彼の伝えたかったことは挑戦する人の背中を押すような素敵な教えだった。
この教えが素敵なものであると感じれば感じるほど、彼が亡くなったことへの悲しさが膨らんでいくばかりである。
もし彼が登山関係者の声に耳に傾けていればまだ挑戦は続いていたのかな、もっと多くの人に彼の伝えたかったことが広まっていたかなと想像してしまい切なくなった。